社史(1920-1970年代)

1921年

日下部商店設立

幼いころより芸術に秀でていて日本画家「松林桂月」より師事。
「ゴルフ川柳」の漫画絵・川柳とも素人とは思えないものである

1945年

日下部産業(株 改組設立
〇1945年 8月 太平洋戦争終結

195X年

〇現会長簑原十昂 軍隊・戦争体験・帰還後の大学下宿先が徳丸家であった。

元会長日下部徳丸:産業界への貢献により勲4等受与

1961年

日下部産業(商店)40周年記念

1966年

日下部機械(株 独立 大阪本社(梅田)

 

「代理店」からの脱皮!
自社開発を平行して進める。 日本で初めて「自動溶接装置」に目をつけ 「自動溶接システム」でいこう!
「独自のメーカー」代理店を作るのに苦労をし、代理店からの脱皮、自社開発を進める。「自動溶接装置」に日本で一番初めに目をつけた。自動溶接装置の技術開発に特化。これが現在のエンジニア部門。時代の当時まだどこにもなかった「当時まだコンピュータを知られてないころからコンピューターを使った設計から全自動装置」を生み出す。あわせてCE社ライセンスの取得
日下部産業は実績のある会社であったが独立時の日下部機械には実績もなく信用(資金)がないため仕入に苦労した。

1968年

kkk=気力・規律・希望 現会長直筆

1969年

独立3年目の社員旅行 モノクロいい時代です

現会長は毎年の年賀状には「自作の漢詩」でその年への思いを語っている

1972年

米国CE社と技術提携開始

■CE社(コンバッションエンジニアリング=現アルストム)ライセンス
当時世界の3~4指に入るエンジニアリング会社のライセンス
 三菱重工業:ボイラー発電用プラントの技術ライセンス
弊社:工作機械・溶接装置の技術提供・CE社の実績の技術(図面)の提携 ライセンス契約

CEライセンス第一号契約 インド
初めてのプラント輸出である
2回続けて 三菱商事を通して注文(まだ貿易をしたことがなかった)
当時で4億くらいの物件であった
見積時@360であったが急激な円高により@280での決済となった第1次円切り上げの時代である

1976年

10周年
10周年パーティ

CEライセンス第三号契約 韓国
発電用ボイラー製造工場 :現代洋行
・当時(昭和42年)まだ日本人がほとんど韓国に入れなかった時代である 男女とも迷彩服の頃に「李元華」 (朴政権のクーデター時に将軍であった方と出会い。李氏に飛行場まで迎えに来て頂きVIP待遇を受けた。)
・韓国が誇る「現代グループ」より分離独立した「現代洋行」との出会い。

1977年

韓国貿易連絡事務所設置


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